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エイビイシイ保育園見学ツアー 群馬でブラジル体験! 日本語学校で交流 
天使の棲む街でおいしいものを食べよう 東京の中のビルマを訪ねて 
南の島の唄をハモろう! 

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エイビイシイ保育園見学ツアー

8月18日
レポート:ツジコウ

えいびいしい保育園 「エイビイシイ保育園見学ツアー」の参加者は、6名+スタッフ2名の計8名。 JR新大久保駅に集合した一行は、徒歩10分くらいのところにある保育園に向かう。

 朝鮮語、中国語、?#!$語...様々な言葉の飛び交う大久保通りを東に進み、ペアーレ新宿の手前を左に折れると、通りから少し入っただけなのにあたりの住宅街は急に静かになる。

 ほどなく右手に3階建ての白い建物が見えてきて、中からは子どもたちの声が聞こえてくる。入り口の前には散歩に出かける時に乗るトロッコ(枠つきの台車)が何台か置いてある。
「お客さんが来たよー!」という園長の片野さんに導かれて、一行は建物の3階の年長組の部屋にお邪魔する。4・5歳児のうさぎ・きりん組と3歳児のりす組のみんなは丁度これから散歩の時間で、近くの都立戸山公園箱根山に向かうという。子どもたちを見送ったあとの静かになった部屋で、調理のお姉さんが出してくれたお茶とお菓子をいただきながら、片野さんと主任の坂谷さんにお話をうかがう。
 
 現在、認可の夜間保育園は東京で二つ、そのうち24時間開所しているのはこのエイビイシイ保育園唯一つだ。基本的な開園時間が午前11時から午後10時まで、それを延長して午前6時から翌朝の午前4時までの22時間が東京都で認められている。ただ、実際はこの午前4時から6時までの2時間を開園するとしないとでは、送迎の問題など大きな違いがあるそうで、この保育園ではさらに独自に延長し24時間保育を実施している。

 そもそもこの保育園は、20年程前に新宿の歓楽街にほど近い大久保のビルの一室で無認可保育園としてスタートした。その頃はベビーホテルの全盛期で、最初は夜間保育にするつもりはなかったものの、新宿という場所柄+あらゆるニーズに答えようとするうちに、24時間型保育になってしまった。
「あの頃はとにかくお金がなくて、バザーなどなんでもやりました。とにかく一日一日のやりくりで大変だったわ」と片野さんはなつかしそうに言う。

保育園内 「夜間」保育というと、どんなイメージを持つだろう? 当時は、夜間保育「悪」とされる時代だった。今、新宿には18のベビーホテルがあり、このエイビイシイ保育園の若いスタッフも“実施体験”のためにこれらのベビーホテルをのぞきに行くそうなのだが、確かに、子どもにとって環境がいいとは言えないところもあるそうだ。しかし、エイビイシイ乳児保育園が18年の実績を認められ、2001年の4月1日に東京で始めての22時間開所の認可園になっても、
“どうして保育園を深夜までやる必要があるのか?”、“子どもは夜は親と暮らし、親元にいるのが一番いい”、“子どもは昼間は遊び、夜は寝るものだ”、“水商売の人が多いんでしょう”などなど悪いイメージを抱く人も多く、まだまだ社会が夜間保育の重要性を認識していないという。
 
 それでは、実際にこの保育園では、どんな点に注意して保育にあたっているのだろう? エイビイシイ保育園は現在定員が60名、スタッフは31名(うち保育士は23名)。
 クラスは0歳から5歳までそれぞれ5つの組に別れ、お泊まりの場合はそれが合流して“ふくろう組”となる。また、園児60名のうち15名が外国人だ。この多国籍の子どもたち、片親が外国人の場合はそれほど問題ないのだが、両親とも外国人となると言葉、習慣の違いなどから様々な問題が生じる。まずは「トイレ」にまつわる言葉など最低限必要な日常会話から互いに確認してゆかなければならない。

 保育園では、朝、登園できる子はなるべく8時から9時までには入れるように指導している。親によっては、夜仕事をしている人も多いのでこれはけっこう大変だ。それでも、自分の子どもが保育園の規則正しいスケジュールに沿って生活する中で変わってゆくのを目の当たりにすると、親の態度も変わるという。
“帰ってからまた休んでもいいんだから、とりあえず子どもを朝連れて来て...”片野さんたちは親を激励する。

 登園後の一日の流れを大まかに追うと、


  
午前中は遊び・活動・散歩
  11時〜12時ごろに昼食でその後ハミガキ
  13時〜14時ごろまでが午睡・体を休める
  15時検温、おやつ
  16時〜活動・散歩
  17時〜夕食
  19時〜静かな遊び
  20時〜21時おとまり組はお風呂、ハミガキ、就寝
  → 順次降園


となっている。

保育園で 0歳児から5歳児では生活習慣も当然ちがうので、遊びが活動になったり、ミルクや離乳食が間に入ったりなるほどと思うことが多い。そういえば、子どもの頃は自分では遊ぶというより“活動している”という自覚のほうが強かったかもしれない。それにしても、子どもだけでなく大人もぜひあやかりたい一日だ。さらに、ここでは食生活を大事に考え、有機栽培の野菜や米を使用しているという。
 
 エイビイシイ保育園は、保護者看護婦、医者、出版業などさまざまで、母子家庭の割合も多い。認可保育園の場合、親が保育園を選ぶ直接入手制ではなく、新宿区の保育課をとおして入ってくる。その基準は保護者の収入ではなく点数制で、働いている時間数などで決まる。その場合、パートや休職中の人たちは当然きびしくなるわけで、本当に夜間保育園を必要としている人が行けるような現状には必ずしもなっていない。

「保育課の人は、ぜひ一度保育園を訪れて現場の状況を知って欲しい。現場に立つ人の意識をわかって欲しい!」片野さんは言う。

 そんな片野さんの次の目標は、平成18年に新しい保育園をスタートさせること。それも自分の原点である新宿に、0歳〜1歳児の乳児専門保育子育て支援、相談業務、休日保育や夜間一時保育などなど、さまざまなニーズに対応できる保育園をつくること。それに夜間の学童保育を開くことで、これはすでに現在の保育園のすぐとなりの一軒家を手配済みだ。

 保育園は子どもだけでなく、父母会など家族を含めた地域のつながりをもたらす。実際にエイビイシイ保育園の行事には、父母だけでなくおじいさんやおばあさん、それに親戚が顔を出すことも多いという。
“環境さえ良ければ、少子化なんて心配なくなるのよ”、“夢を持ち続ければ必ず叶う!”と言う片野さんのバイタリィティに圧倒されながらも、こんな保育園があり、元気に働く人がいることに救われる思いがした。
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群馬でブラジル体験!
ブラジルタウン大泉で語り、食べる

8月19日

バスの中で
大泉について
交流
学ぶ
子どもたちと
話を伺う
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天使の棲む街でおいしいものを食べよう
〜大久保たんけん〜

8月20日

大久保にて

参加者アンケートから

  •  私の持っていた大久保のイメージは、どこにでも(30年前に)みられた地域商店街のそれでした。大きくエスニックの街に変わったのはどうしてなのだろう。またどのように多層的に機能して、街の営みがあるのだろう。そういうことをじかにお話を伺って、見て、味わってみたいものと思っていました。
     江戸時代の名残の細い直線路地、新宿ビジネスに隣接して、その歩みに大きく影響されてきたことなど、大久保地域で暮らし、活動する人からでなければ聞けない話や観察ポイントがよくわかりました。外国人客を大事な顧客としてそれへの応対や品揃えへの工夫など、商店の具体的なお話もわかりやすかったと思います。


  • スタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。“たんけん”楽しかったです。
    • 森田忠幸さんのお話がとても面白かったです。外国人だけでなく、もともとの日本人のコミュニティのことなど、新しく知ったことがたくさんありました。
    • 交流会と限らず、自己紹介の時間は先にとったほうがよかったかも。
    • 2年ほど前の「たんけん」でもヤッタナーでしたが、できたら居住割合の多い韓国料理にチャレンジしてみたかったです。
    • 何かイベントがあったらご案内ください。参加したいと思います。

  • 新大久保商店街森田さんの説明もなるほどと感心したり教えられたり、また共住懇山本さんの説明も知らないことを教えてもらい、大変よかった。街での歩きの説明は車イスの人もいたので、前後にスタッフがつき、長くならないようにした方がよかったのでは(歌舞伎町のたんけんの時のように)。また、参加したいです。もっと新宿を奥深く知りたいです。
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日本語学校で交流−多文化に触れ合おう

8月21日
レポート:秋

学校にて 「誰も来ない!」
 思わず声を出してしまいました。
集合時間まであとわずかなのに、1人もいないなんて! もしかして、私が日にちを間違えたか? ・・・焦りながら集合場所付近を歩きまわっていると、ようやく一人発見。ほっとしました。

 結局、2人キャンセル、1人が遅刻とわかり、4人でイーストウエスト日本語学校に向かいます。私たちを迎えてくださったのは、講師の新崎さん。ここ、イーストウエストでは語学を教えるだけではなく、地域を中心とした日本の人びととの交流を大切にしています。新崎さんは、同校の生徒と地域の小学生が交流をしている様子などをビデオで見せてくださいました。

学校にて この時期は夏休みの短期講習期で、授業は10〜12時までとなっており、短期の語学留学生もいるそうです。私たちは、全員でまず中級のクラスに行きました。このクラスは全員が韓国の方。容姿が似ているので、あまり外国の方と接しているかんじはありません。

 私たちは、『韓国から来たお手紙』という冊子をいただきました。これは、前日に生徒さんたちが作ったもので、韓国のおすすめ観光スポットや料理のレシピ、映画、日本と韓国との比較など、それぞれ自分の好きなことを書き、それを各自が発表しました。生徒さんたちの文章や字は美しく、たまに文法間違いがあるくらい。また、話しをしても発音がとてもきれいです。ハングル日本語は文法が同じなので、韓国の人は日本語が上達しやすい、と聞いたことがありますが、ヒヤリング・スピーキング・ライティング、すべてにおいてレベルが高く、驚きました。全員の発表が終わったあとは、数名ずつのグループに分かれ、そこに参加者が一人ずつ混じって会話を楽しんだようです。

学校にて 私とボランティアの“さこりん”は、途中から初級のクラスにお邪魔しました。こちらには台湾スリランカの人がいましたが、その2人以外は韓国の人でした。ちなみに通常のクラスも今年は韓国の方が多く、7割をしめているそうです。このクラスでは、言葉を推測するクイズをやりました。最初にたとえば「その言葉は4文字です」というヒントが出され、「それは食べ物ですか?」「色は?」などと質問をしていきます。生徒さんの知っている日本語が少ないので、こちらの質問がわからないことがあります。また、「チョ」「キャ」といった拗音は1文字にカウントするため、たとえば「チョゴリ」は3文字となります。はじめに先生から説明を受けていましたが、つい忘れてしまい、正解を出すのに手間取ることもありました。

昼食 授業が終わると希望者を募り、近くのお店へ昼食を食べに行きました。最後にみんなで写真を撮って解散。ほんの数時間の訪問でしたが、連絡先を教え合う生徒さんと参加者の姿も見られました。多文化たんけんツアーをきっかけに、いい出会いを経験される方々を見てきましたが、イーストウエスト日本語学校でも素敵な出会いがあったようです。

記念撮影
追記:
 今回、日本語学校でのツアーを決定したのが遅くなり、「行きたいけれど、今からでは休みがとれない」などと言う人が何人かいらっしゃいました。そんな方々へ朗報です。イーストウエスト日本語学校では「おしゃべりパートナー」を募集しています。生徒さんに日本社会を知ってもらいたい、日本の人と触れ合ってほしい、という学校側の思いから始まったもので、これまでに多くのパートナーが誕生しているそうです。興味のある方は、イーストウエスト日本語学校へお問い合せを
(電話:03-3366-4717)。
 また、『世界がステージ』(岩波ジュニア新書)という本の中に、同校の嶋田和子先生のお話が載っています。学校での日常生活で繰り広げられる多文化体験や、日本語を教える面白さ、そして生徒さんたちに対する愛情が伝わってきます。ジュニア向けですが、大人でも楽しめる本なので、ぜひご一読を!


参加者感想

  • 日本語学校に入ったのは初めてでした。「日本人の皆さんが来ました」という言葉に違和感はありましたが、面白かったです。学校のシステムや教え方にも興味があるので、そういったお話も今度は聞かせてください。

  • 参加者が少なかったので、きっと話ができなかった人もいると思います。最近、韓国の映画や音楽などが日本でも紹介されているので、そういう話もできて楽しかった。

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東京の中のビルマを訪ねて

8月24日
レポート:さこりん

 立っているだけで汗が噴き出す炎天下の大塚駅に14時集合。

 ビルマ日本支部という在日ビルマ人の人権擁護NGOのミンニョウ先生の案内でビルマ寺へ行く。ミンニョウ先生によるとビルマ仏教は多くのビルマ人にとって精神的支柱でありビルマ社会ビルマの人々について語るうえで不可欠であるとのことである大塚駅から徒歩5分ほどにあるとある2LDKマンションの一室に入る。台所を通って奥の部屋に入ると10畳ほどの畳の部屋があり仏壇の前に5名の袈裟姿お坊さんが待機。部屋の片隅にお坊さんの寝泊まり用の布団が見える。一見、生活感あふれる空間でビルマ仏教の話を聞く。

 ビルマ仏教は多くのビルマ人にとって精神的支柱でありビルマ社会ビルマの人々について語るうえで不可欠であるとのことである。

 そしてミンニョウ先生から在日ビルマ人をめぐる日本社会の問題についての話を聞く。
 その後、お坊さん、ミンニョウ先生、数名のビルマ人信者と参加者との間で質疑応答。内容はビルマの政治経済システムから第2次世界大戦のことまで幅広い。その後はお買い物タイム。

 近所にあるビルマ雑貨屋2軒を散策する。高田馬場のビルマ料理店「ナガニ」でお茶の葉のサラダやアウンサン・スーチーさんも好物というモヒンガーというスープそうめんなどに舌鼓をうち参加者どうし活発な交流が深夜近くまで行われた。昨年はじまったツアーだが今回、昨年から引き続き参加したというリピーターもいた。

参加者アンケートから

  •  とても身近なところで生活しているのに、いろいろな国の方々だけでなく、いろいろな立場の日本人の方と接する機会の少ない私には、とても貴重な体験でした。
     ビルマに訪れたときに感じた、ビルマの人の穏やかさ、優しさを再発見できたこと、直接お邪魔してお話ができたこと(軍事政権問題はどのように考えればいいのか私の中でわからなかったのですが)、プログラムに参加したこと、お話ができたこと、視界の狭くなっていた私には、とても楽しく勉強になりました。ありがとうございました。


  • ビルマのツアー、交流会ともとても楽しく過ごすことができました。たくさんの方々との出会いはいいもんだなあとつくづく思います。夏だけでなく定期的にイベントがあるといいですね。実践的なイベント(料理会など)に特に興味があります。

  • 個人的には、引っかかっていた疑問をいくつか解く機会があったのはありがたかったです。

  • ビルマ話をまともに聞く機会がなかったので、大変よかったです。ビルマ文字を覚えて出直したくなりました。仏像の質問もできて勉強になりました。今後はモンゴルの関係もよろしくね。
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「南の島の唄をハモろう!」

8月25日
レポート:ツジコウ

会場風景1 宿区役所の裏手、細い路地を入ったビルの地下に「かんじゃーやー」はある。廊下には冷房の排熱がこもり、店に入る前からすでに汗ばんでくる。扉を開けると中はコの字型のカウンターになっていて、10席ほど(そんなにあったかな?)のイスが並び、壁や天井は台湾パイワン族トンボ珠製品やビデオ、CD、チラシやビラなど様々なものでゴチャゴチャしている。

 一同席について一通り飲み物を頼んで乾杯してから、本日の講師の方々の紹介をする。まずは台湾在住歴15年で牧師の二宮一朗さん、そして“An-chang Project”宇野さん安場さんの二人だ。“南の島の唄”の島は、沖縄・台湾からポリネシア、オーストラリアにいたる環太平洋の島々を指すという前フリがあって、最初に二宮さん台湾原住民とその音楽の特徴について簡単なレクチャーをする。

 台湾原住民は、1998年末の段階で9大民族に別れ、その人口は約40万人。台湾全人口のおよそ2%に相当する。最近では毎年のように原住民として認定される部族が出てきているので、実際には少数民族がもっといるのだろう。9民族のうち海洋の民であるアミ族をのぞいてほとんどは山間部に住んでいる。

会場風景2 台湾は400年ほど前から、スペイン、オランダ、漢民族そして日本などが支配してきた歴史があるが、日本は植民地として同化政策を実施するために、はじめて山間部まで入り込み台湾全土を掌握した。この同化政策は、戦後の国民党による支配とともに、原住民独自の文化がくずれてゆく大きな原因となった。しかし一方で、この虐げられた原住民の生活は、様々な音楽が芽生える土壌にもなったという。

 二宮さんによると、台湾の原住民の音楽的特徴三つある。
  • 一つ伝統民謡
  • 二つ目に教会音楽としての原住民音楽(これは録音されたテープを聴いてなるほどと思ったのだが、賛美歌によく似ている唄もある)。
  • 三つ目が現代の流行歌としての原住民音楽だ。

また、

  • アミ族は海洋の民らしく明るい。
  • タイヤル族の唄はレミソラの音階でできている。
  • サイシャット族の唄は暗い印象がある。
  • ブヌン族は八部声調...

といったように、各部族でもさまざまな特徴があるのだが、今日はそのうちブヌン族の唄をみんなでハモることにする。

 まず、二宮さんがカウンターのまん中で指揮者のように身体を動かし音頭をとりながら、参加者が高音部、中音部、低音部それぞれわかれて練習する。ハモるといっても、“原住民のハモり方”はどこかの音域が手薄だなあと思ったら、パッとそちらに勝手に移ってもいいという極めて即興性に富んだお気楽なものだ。テープに合わせながら“ウーエーヘー”...。
 最初は心細気だったのだが、二宮さんに煽られ、またAn-chang Projectの二人のホメ上手にのせられてか、徐々にみんなの声が合っているような気がしてくる。“ウーエーヘー”というなんだかよくわからない歌詞も、自信を持って大声で歌うと意味あり気に聞こえてくるから不思議だ。

 続いて食事を食べながら“An-chang Project”による第二部がはじまり、本日の唄(ランチみたいだ)メニュー5曲を適当に選びながら演奏する。
 まずは小笠原の唄「レモン林」。タイトルもそうだがメロディーもちょっと垢抜けている。小笠原は無人島だったところにいろいろな人が移りこんだこともあって、サイパンの流れをくんだモダンな曲に標準語なんてとり合わせも生まれる。
 2曲目「ハララルデ」これは“Anchang Project”の二枚目のCDのタイトルにもなっている与那国島の子守唄。“父ちゃんが畑にイモ掘りに行ってるから泣くなよ”“イヤ(父さん)や くん去りぬー!”という歌詞らしいのだが、どことなく色っぽくてなまめかしい感じがする。子守唄ってそういうものなのだろうか。
会場風景3 3曲目は知ってる人も多い「安里屋ユンタ」(沖縄)。4曲目「曲がりょ高頂」(奄美大島)、これは“峠に合図の提灯が灯ったら忍んできてね”という夜ばいの唄だという。そして最後の「西目チャッキリ節」(沖永良部島)と続く。

 みんなそれぞれ手近な物や簡単な楽器をうち鳴らし、ハモりポイントを教わりながら楽しく唄ってゆく。店内はとっても暑いのだが(実はあとで空気清浄機のスイッチが切れていたことが判明)、次第にそれが気にならなくなってくる。南の島の唄なんだから、クーラーの効いたさぶい部屋なんて似合わないのかも知れない。

 5曲歌い終えたところで本日のスペシャルゲストキリバス出身のユビトゥヨさんが登場。キリバスの言葉と日本語で、みんなでパートを担当しながら唄う。このころにはみなすっかりリラックスして、気持ち良さそーに寝ながら船を漕ぐ参加者もいた。

 “南の島の唄を歌う”それもハモってみようという今回の企画、演奏者も訪れた者も、カウンターのあちら側もこちら側も、自然に分け隔てなく終いにはいろいろな方法でそれぞれがハモっていた。この誰もがノッてゆける唄たちには不思議な力があって、きっと南の島とそこに住む人たちの、なにか秘密が隠されているのかも知れない。
 二宮さんはレクチャーの中で
「文明化とか発展するという言葉で測ることのできないシンプルな豊かさがある」と言っていた。南の島の魅力に感じいるとともに、こうなるとどうしたって北に訪れて、環太平洋を一周しないわけにいかないなと思いの膨らむ夜だった。


参加者アンケートから

  • 楽しく2時間過ごすことができ、感謝しています。また機会があれば参加させてください。ボランティアご苦労さまでした。
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多文化大学

8月23日

参加者アンケートから

 朴慶南さんの話を聞いていて、私も『教科書が教えない歴史』を読んでいて危ないと思ったことがあったのですが、あれを何も知らずに読んだ人は「何だ、在日のやつらは助けてくれた日本人がいた恩人も知らないで、加害のことだけ言う都合のいいやつらだ」と誤解されるのではないか。やはり在日の慶南さんが言ったことに重みがあると思いました。
 今度は慶南さんと鶴見ツアーの企画があったらいいな、と思いました(そうしたら私も企画に参加したいです)。

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